海の無い奈良で生まれ育った私には
身近に海を見ることが出来ませんでした。
だからでしょうか?
海へのあこがれ、想いは人一倍強かったと思います。
ちょうど叔母の家が神戸の須磨海岸の前にありました。
夏休みなどは必ず長期間滞在させてもらい、
毎日のように弟と海岸に遊びに行っていたのを思い出します。
海岸に立ち、行きかう船舶を眺めながら
「あの船はどこまでゆくんだろうか?」
「この海の向こうには何があるんだろうか?」
行ったことのない外国の情景を思ったりしたものです。
小さな子供ながら、
不思議と落ち着くこの海の風景が大好きでした。
海への想いは今も変わりません。
広い広い大海原も好きですが
この見慣れた瀬戸内海の海は大好きです。
家族には常日頃話をしています。
「死んだ後の遺骨は、この海に散骨してね」 って。
何年後になるかはわかりません。 しかし、
自分の大好きな場所に還ってゆけるって
素敵ですよね。
海洋散骨のブルーマイルゥー