こんにちは。中井良紀です。
葬送関係の書物は多数ありますが、
その歴史についての記述も数多くくあります。
3~7世紀ぐらいまで、天皇や豪族など地域の有力者が亡くなると、
大きな古墳に埋葬されていました。
その後薄葬令が発令され、必要以上に大きなお墓を作られることはなくなりましたが、
一般庶民は亡くなっても埋葬されず、あちこちに遺棄されていたようです。
(一応、一定の埋葬場所というのはあったみたいですが)
芥川龍之介の「羅生門」では、
夕暮れの羅生門に餓死者の死体が捨てられている情景がリアルに描かれています。
この時代、平安京では庶民は亡くなっても埋葬されないケースが多かったみたいで、
路上に死体が放置されているといった風景も珍しくなかったようです。
実際、「疫病の流行や飢餓があると、死体の山で鴨川の流れがせき止められた」
ということもあったようで、
街の中でも、死体に群がる鳥や犬の姿が多く見ることができたようです。
なんともすさまじい光景ですが・・・
でも、それほど「死」が身近なものだったということでもあるのでしょうか。
庶民のお墓が作られるようになったのは、
江戸時代にキリシタン弾圧のための檀家制度が出来てからで、
現在のような先祖代々の家墓が出来たのは明治時代になってからのようです。
このような歴史的背景はありますが、現在も葬送事情は変化し続けています。
葬儀においても最近の傾向は、祭壇中心のハデなお葬式から、
「家族葬」と呼ばれる、身内やごく親しいい友人などの参列による葬儀が増えています。
それは、皆で悲しみを共有できる、故人が主役の葬儀です。
また、埋葬においてもお墓への埋葬だけでなく、
散骨等の自然葬を希望する方々が増えています。
散骨等の自然葬を語る方の中には、このような歴史的背景から、
「いかに自然葬というものが正しいか」
ということを強調される方もいらっしゃいます。
私どもは、そういった歴史的・宗教的・民族学的な観点から議論するつもりはありません。
散骨を望む方に、「本当に望むかたちを叶えるお手伝いをさせていただく」
そのような思いでおります。
人それぞれ、好きな食べ物・服装・ライフスタイルってありますよね。
それと同じように葬送のスタイルも人それぞれに望む形があっていいと思うのです。
(もちろん法律を犯すようなことや、まわりに迷惑のかかることはいけませんが)
海洋散骨のブルーマイルゥー