散骨・供養: 2008年6月アーカイブ

供養、それぞれのかたち。

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供養にはさまざまなかたちがある。

 

従来からのお墓もあれば、散骨、樹木葬、

そして手元供養など、人それぞれである。

 

供養のかたちは、人それぞれであってよいと思う。

「何が正しいのか」 という議論ではないと思う。

 

それぞれ自分が、あるいは残された方々が

感じ・思うような方法を選べばよいと思う。

 

要するに好みの問題なのではないだろうか。

 

例えば、好きな食べ物、服、色、あるいは車など

人にはそれぞれ好みがある。

 

人に何と言われようと、自分の好きなものは好き。

そして、その選択に間違いはない。

 

そこには「何が正しいのか」という議論が入り込む余地はない。

 

それぞれのサービスを提供する企業が関わってくるので

仕方ないのかもしれないが、

「何が正しいのか」 という議論ではないと思う。

 

海洋散骨のブルーマイルゥー

http://www.bluemileu.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

それは海の彼方から ・ ・ ・

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沖縄には「ニライ・カナイ」に対する信仰というものがある。

 

ニライ・カナイというのは、

海の彼方にある仙境の楽土であり、

神々の住む世界のことである。

 

その神こそ、この世での生命を終えた者たちであり、

そして時が来れば再び現世へ生まれかわるものと

信じられるようになった。

 

人は生まれる時、それはニライ・カナイからやってくるのであり、

死ねばニライ・カナイに帰ってゆく。

 

海は死者の帰ってゆくところであると同時に、

生命の生まれ故郷なのである。

 

日本人が古来から抱いている海や山など自然への信仰。

 

一個の命が亡くなった時、

それは肉体を離れ海の彼方に,あるいは山へと還ってゆく。

 

それは再び新しい命となってこの世に生まれてくる。

 

人々は、この命の故郷を母ととらえていた。

 

海や山に遺骨を撒く散骨。

 

そこには自然のもとに還り、

そして自然の循環に与りたいとする

心性が宿っているのではないだろうか。

 

海洋散骨のブルーマイルゥー

http://www.bluemileu.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

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