散骨・供養: 2009年6月アーカイブ

海への想い・・・

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海の無い奈良で生まれ育った私には

身近に海を見ることが出来ませんでした。

 

だからでしょうか?

海へのあこがれ、想いは人一倍強かったと思います。

 

ちょうど叔母の家が神戸の須磨海岸の前にありました。

夏休みなどは必ず長期間滞在させてもらい、

毎日のように弟と海岸に遊びに行っていたのを思い出します。

 

海岸に立ち、行きかう船舶を眺めながら

「あの船はどこまでゆくんだろうか?」

「この海の向こうには何があるんだろうか?」

行ったことのない外国の情景を思ったりしたものです。

 

小さな子供ながら、

不思議と落ち着くこの海の風景が大好きでした。

 

海への想いは今も変わりません。

 

広い広い大海原も好きですが

この見慣れた瀬戸内海の海は大好きです。

 

家族には常日頃話をしています。

「死んだ後の遺骨は、この海に散骨してね」 って。

 

何年後になるかはわかりません。 しかし、

自分の大好きな場所に還ってゆけるって

素敵ですよね。

 

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海洋散骨のブルーマイルゥー

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散骨のお問い合わせ

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私たちブルーマイルゥーに散骨のお問い合わせをいただく方々は

初めてのことで不安でいっぱいの中ご連絡いただくことが多いのではないかと思います。

 

特にパソコンなどでホームページを見れない方々は

そうではないでしょうか。

 

私どもも、そうした方々に出来るだけ安心して

散骨について考えていただきたいと思っており、

お客様のお考え、ご希望を出来る限りお聞きするようにしております。

 

そして、

例えば私たちの対応できない海域での散骨を希望されていても

その海域での散骨実現に向けて様々な情報を提供させていただいております。

 

いろいろ思い悩むところもあるかと思いますが

散骨については是非私たちにご相談ください。

私たちが皆様のお役に立てることを願っています。

 

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石原裕次郎さんと散骨

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永遠の大スター、故・石原裕次郎さんの二十三回忌法要が

7/5に東京・国立競技場で開催されるようです。

 

なんとこの法要、裕次郎さんが眠る総持寺の本堂を競技場内に再現し、

本尊の釈迦如来像をお寺から借りるという前代未聞の法要です。

過去最大級、十数億円規模のこの法要には天国の裕次郎さんもビックリしているでしょう!

 

ところで裕次郎さんは生前、海をこよなく愛する方でした。

亡くなった当時、兄の石原慎太郎さんは

「弟が好きだった湘南の海に散骨したい」 と願い出ました。

ところが当時、散骨は違法であると思われていたため断念したようです。

 

ここまでは知っていらっしゃる方も多いと思いますが、

実はその後、散骨が実現しています。

 

1991年に、当時の法務省・厚生省(現厚生労働省)が

「散骨は、節度を持って行われる限り許される」 との見解を出しています。

散骨は遺骨遺棄罪には当たらず、また「墓地、埋葬等に関する法律」に関しても

散骨は想定しておらず、対象外であるとのことなのです。

また、「海洋汚濁防止法」や「廃棄物処理法」に関しても

節度を持って行われる限り廃棄物に当たらないとしています。

 

その見解が出た後、石原裕次郎さんの一部の遺骨は

彼が大好きだった湘南の海に散骨されたということです。

(詳しい場所は発表されていません)

 

大好きだった海への散骨。

大海原へ還ってゆく彼。

いかにも彼らしい最期だったのではないでしょうか。

 

 

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清め塩

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先日、あるドラマの中でこんなシーンがありました。

 

葬儀から帰ってきた人が自宅に入る前に「おい、清めの塩をまけ!」

と言って塩を振りかけてもらっていました。

 

僕はこのシーンを見て何だかイヤな感じというか

違和感というか、あまりいい感じがしませんでした。

 

葬儀の後などにする清め塩は、

死者をケガレから清めるという意味ではなく、

葬儀に参列した人につくケガレを清めるという意味で行われています。

(死者がケガレというよりも「死」そのものがケガレという考えなんですが)

 

しかし僕はどうもこの清め塩をする気にはなれず、

今までもしたことがありません。

死者に対して失礼な感じがしませんか?

汚いもの扱いしているようでダメなんです。

(イヤな人が帰った時に塩をまいたりしますしね)

 

昔から塩は不浄のものを清めると言われていますが

仏教では死をケガレと見ないので、これは神道と関係があるのでしょうね。

例えば浄土真宗では「清め塩を使う必要はない」と説いています。

ですから最近では、葬儀の時の会葬のお礼に

塩の小袋を付けないところもあるようです。

このような考えに僕は賛成なんですけど、

人によっては考え方がいろいろあると思います。

 

清め塩に限らず、

葬儀には伝承ごと・迷信が多いですね。

例えば・・・

「霊柩車を見たら親指を隠さないと親が死ぬ」 とか

「葬儀後に出棺したら故人の使用していたお茶碗を割れ」 とか

「死者が寝ている掛布団の上に着物を逆向きにかける」 とか

「友引に葬儀をすると死者が寂しがって友を連れて行ってしまう」 とか

その他にもいろいろあります。

 

死者への敬意として、これらの何の根も葉もない伝承ごとを

全く無視するのも良くないと思いますが、

考え直す必要はあると思います。

 

 

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