散骨・供養: 2008年4月アーカイブ

水葬

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こんにちは。中井良紀です。

 

葬送の一つとして、「水葬」というのがあります。

 

遺体を火葬することなく海に沈めるというもので、

日本では一般的に行うことが出来ませんが、

アメリカでは水葬が許されており、望む人も多いようです。

 

オモリが入った特殊な棺を使用し、

海底に固定されて浮き上がってこないように工夫されています。

 

日本でも水葬は船員法第15条に、

「船長は、船舶の航行中船内にある者が死亡したときは、

命令の定めるところにより、これを水葬に付することができる」

と規定しており、特殊なケースの場合として水葬の規定があります。

そして具体的な水葬の条件としては、

・船舶が公海上であること。

・死亡後24時間経過を経過したこと。但し、伝染病に困って死亡した時は、この限りではない。

・衛生上死体を船内に保存することができないこと。但し、船舶が死体を載せて入港することを

 禁止された港に入港しようとするとき、その他正当の事由がある時は、この限りではない。

などとあり、このすべての条件を備えなければ水葬儀に付することができない

としています。

 

生の遺体をそのまま・・・

というと、少々抵抗があるかもしれませんが、

こういうのも一つの選択肢として良いのかもしれませんね。

 

いつの日か日本でも、

アメリカのように水葬の出来る時代が来るかもしれません。

 

海洋散骨のブルーマイルゥー

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来迎図・自然への思い

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こんにちは。中井良紀です。

 

「来迎図」というのがあります。

それは「臨終の際、飛雲に乗った菩薩様たちが

救い導くべく人間界に降りてくる」という絵画です。

 

賑やかな音楽を奏でるように、

さまざまな楽器を手にする菩薩様たちの表情は、

みな穏やかであり、また笑みさえ浮かべています。

 

来迎図を眺めていると、なんとも言えない安心感を抱くのは、

みな同じではないでしょうか。

 

死んだらどうなるんだろう?

死んだらどこへ行くんだろう?

誰も明確な答えは出せないけれど、

ここには安らぎのうちに最期を迎えるための、

そのお迎えの瞬間が描かれています。

 

その来迎図の背後の風景をよく見てみると、

そこには水辺や山、森が描かれています。

私たちが死んだ後の世界は、これらの自然とつながっているという思いがあり、

それにより安らぎを感じているのではないでしょうか。

 

日本人が本来持っている、海や山など自然への信仰。

そして自然回帰への思い。

 

近年は「散骨」を希望される方が増えてきています。

「命が亡くなった後は、海や山などの自然に還ってゆく」

古来より日本人は、

自然を「命の故郷」ととらえていたのだと思います。

 

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地域とのつながり

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こんにちは。中井良紀です。

 

僕の住んでいる地域には「青年会」という会があります。

自治会活動をサポートしながら、独自の活動をしており、

20歳代後半~60歳まで、約20名が会員として在籍しています。

 

おもな目的は、地域・会員同士の親睦で、

会員の家族も含め、バーベキュー、お花見、旅行、海水浴、秋祭りの獅子舞、

その他いろいろなことをしています。

 

しかしこの会も高齢化が進んでいて、

メンバーは次々に「青年会」→「老人会」へと移ってゆきます。

新しく若い入会者はここ数年いません。

だからあと数年すると「青年会」は、

存続できるかどうかの問題に直面すると思います。

すでにその話は、たびたび話題として出ます。

 

住民に若い人はいますが、青年会にはなかなか入ってくれませんね。

こういった地域での活動は「めんどくさい」と思うのでしょうか。

こういった地域の人の集まりよりも、

自分の家族・ライフスタイルを大切に考えている人が多いのでしょうね。

自治会にしても、最近は入らない人が増えていますしね。

 

青年会では、それぞれが気兼ねなくざっくばらんにやってますので、

本当に気を使うこともなく楽しい会です。(それぞれの家庭事情までが筒抜け状態です(^u^))

会員にとっても、居心地がいいようで、集まる時は皆楽しみにしてやってきます。

 

めんどくさい部分もあるかもしれませんが、

こういった地域のつながりというのは大切だと思います。

何か問題が起こった場合、災害などが起こった場合、

などもみんなで助け合えることもできます。

最近は近くでもどんな人だか全然わからない人が増えていますね。

しかし地域の人同士がお互い知り合いであるというのは大切だと思います。

(個人のプライバシー、個人情報保護が異常なまでに大切にされている

ということも原因かもしれませんね)

 

こういった地域とのかかわりの意識変化は、

少子化、核家族化、個人化といった家族の在り方・意識の変化によるものなのでしょう。

このような変化は葬送の世界にも変化をもたらしています。

葬儀の小規模化・お葬式をしない人の増加、自宅での葬儀の減少、

あるいはお墓を持たない人、散骨等の自然葬を望む人の増加。

そして、葬送の世界はこれからも変化し続けてゆくのだと思います。

 

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火葬船

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こんにちは。中井良紀です。

 

「火葬船」の構想があるそうです。

これから死亡者数が増加し、火葬場不足が深刻化するのを見据え、

その問題解消として船上で火葬が行える「火葬船」を作るという考え。

 

利点としては、

・土地の確保と住民との調整が回避できる

・年間死亡者数のピークをすぎた後は、船を解体して鋼材をリサイクルできる

などがありますが、とてもいい考えだと思います。

 

平成18年の国内年間死亡者数は、約108万人。

しかし、団塊世代人数がピークとなる2030年ころには、173万人になると予想されています。

すでに、需要が処理能力を超えてる地域もあるようで、

死亡から火葬まで数日待たされるケースもあるようです。

 

構想では、岸からある程度沖の海上で火葬するようで、

葬儀なども出来るようです。

かなり大きな船が想定されているようなので、船酔いは心配なさそうでね。

ただ、天候などの問題はあるかもしれませんが。

 

僕個人の意見としては、ぜひ実現できればと思いますね。

そのさらに先にある、少子化による死亡者数減少にも対応出来ますし、

とてもいいアイデアだと思います。(船が大好きというのもありますが(^u^))

 

葬儀の世界においても同じことがいえるのではないでしょうか。

最近は、死亡者数と葬儀の増加を見込、次々と葬祭会館が建設されています。

しかし、葬儀1件の単価は下がってきており、その傾向はこれからもますます続くでしょう。

この先、本当にこのような数の会館が必要になってくるのか?

本当に会館が必要なのか?

死亡者数が減少に転じたときの対応はどうなるのだろうか?

という疑問があります。

 

「これから死亡者数がどんどん増えて、葬儀業界は有望ですね」

という方もいらっしゃいますが、決してそうではないと思います。

死亡するまでのいろいろな問題、たとえば医療や介護といったことにお金がかかり、

葬儀にかけるお金は少なくなり、小規模化してきます。

現在の葬送事情は変化しています。

 

最近、私たちがお世話になっている関西の葬儀社様があります。

そういった数々の興味深いお話を聞かせていただけ、

また、私どもにもいろいろと親身になって相談やアドバイスをいただいています。

「家族葬」を専門にされているその会社は、ほとんどの社員が女性という

葬儀社としてはとても珍しい会社です。

社長は、消費者側からみた葬儀に対して的確な目を持っておられ、

毎日エネルギッシュにご活躍されています。

ぜひ一度ホームページをご覧になってください。現在の葬送事情がとてもよくわかります。

ブログもオススメですよ。

 

株式会社オフィスシオン

http://www.office-sion.jp/

 

 

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葬送の歴史と自然葬

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こんにちは。中井良紀です。

 

葬送関係の書物は多数ありますが、

その歴史についての記述も数多くくあります。

 

3~7世紀ぐらいまで、天皇や豪族など地域の有力者が亡くなると、

大きな古墳に埋葬されていました。

その後薄葬令が発令され、必要以上に大きなお墓を作られることはなくなりましたが、

一般庶民は亡くなっても埋葬されず、あちこちに遺棄されていたようです。

(一応、一定の埋葬場所というのはあったみたいですが)

 

芥川龍之介の「羅生門」では、

夕暮れの羅生門に餓死者の死体が捨てられている情景がリアルに描かれています。

この時代、平安京では庶民は亡くなっても埋葬されないケースが多かったみたいで、

路上に死体が放置されているといった風景も珍しくなかったようです。

実際、「疫病の流行や飢餓があると、死体の山で鴨川の流れがせき止められた」

ということもあったようで、

街の中でも、死体に群がる鳥や犬の姿が多く見ることができたようです。

なんともすさまじい光景ですが・・・

でも、それほど「死」が身近なものだったということでもあるのでしょうか。

 

庶民のお墓が作られるようになったのは、

江戸時代にキリシタン弾圧のための檀家制度が出来てからで、

現在のような先祖代々の家墓が出来たのは明治時代になってからのようです。

 

このような歴史的背景はありますが、現在も葬送事情は変化し続けています。

葬儀においても最近の傾向は、祭壇中心のハデなお葬式から、

「家族葬」と呼ばれる、身内やごく親しいい友人などの参列による葬儀が増えています。

それは、皆で悲しみを共有できる、故人が主役の葬儀です。

また、埋葬においてもお墓への埋葬だけでなく、

散骨等の自然葬を希望する方々が増えています。

 

散骨等の自然葬を語る方の中には、このような歴史的背景から、

「いかに自然葬というものが正しいか」

ということを強調される方もいらっしゃいます。

 

私どもは、そういった歴史的・宗教的・民族学的な観点から議論するつもりはありません。

散骨を望む方に、「本当に望むかたちを叶えるお手伝いをさせていただく」

そのような思いでおります。

 

人それぞれ、好きな食べ物・服装・ライフスタイルってありますよね。

それと同じように葬送のスタイルも人それぞれに望む形があっていいと思うのです。

(もちろん法律を犯すようなことや、まわりに迷惑のかかることはいけませんが)

 

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供養のかたち

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こんにちは。中井良紀です。

僕には毎日欠かさずしていることがあります。

それはお仏壇で手をあわすことです。

 

僕は奈良で生まれ育ったのですが、祖母は非常に信仰心の厚い人でした。

(・・でした。ってまだ健在です!)

毎日お仏壇で手をあわす祖母の姿を見ながら育った私も、自然と毎日仏壇で手をあわすようになりました。

結婚後、妻の実家がある高松で住むようになりましたが、それは続けています。

習慣になってしまうと、逆にお仏壇へのお参りをしないとなんだか変な感じなんですね。

 

仏壇の前で手をあわせ、「いつもありがとうございます」って言うだけなんですけど、

なんだか心が洗われるような感じがします。

そうなると、心の持ちようも変わってきます。

それはいろんな決定に影響してきます。

さらにその決定は行動に影響してきます。

行動が変われば人生も変わってくる。最近そう思うようになりました。

 

散骨を望み「お墓は必要ない」って思われる方も、

「お仏壇やその他の供養品はやはり必要」と思われる方がいらっしゃると思います。

お墓を持たなくても供養の対象を必要としている方もいらっしゃるでしょう。

いつも思いを寄せ、故人を偲ぶことができる。そんな安心感・・・

 

そのような方のために、ブルーマイルゥーは手元供養品の取り扱いも始めました。

手元供養を望まれる方の理由も様々だと思います。また、

・散骨+手元供養

・散骨+手元供養+従来のお墓

・散骨+手元供養+合祀墓

・散骨のみ

・合祀簿+手元供養

このほかにもいろんな組み合わせが考えられます。

皆様の葬送の選択肢を、より広く提案させていただけると思っております。

(僕自身は常日頃、「僕が死んだら散骨してくれ!」って言ってます。手元供養は残された家族の意志に任せたいと思っています)

 

ブルーマイルゥーはNPO手元供養協会のパートナーとなりまして、

国内7社の手元供養品を扱えるようになりました。

詳しくは近日中にホームページでご案内する予定ですので、

お楽しみにしていてくださいね。

 

海洋散骨のブルーマイルゥー

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